はじめに
はじめまして。
私は現在37歳(2024年現在)で、本業は税理士事務所に籍を置き、主に中小企業の関与先を対象に下記のような業務を行っています。
目的①:自ら動くことの大切さを伝えたい。
・会計、税務申告サポート業務
・財務分析
・経営課題解決
・経営計画策定支援
・経営会議のファシリテーション
・経営者向けコーチング
・従業員向け外部メンター
・研修講師
簡単に言うと、経営コンサルタントのようなもので「企業の成長と利益アップに貢献する」、そして「その先に関わる人たちの課題解決につながる」ことで、「日本にもっと楽しい企業をたくさん作る」ことを目指しています。
現在の仕事へ転職して、今年で12年。
転職前は大学を卒業後、地元の産業用機械を扱う商社に就職し、3年ほど勤めていました。
◇ダメダメだった営業マン時代
実は前職の私は、本当にダメダメな営業マンでした。
入社したての頃の同期は1人。しかし、その同期も3日後には「この仕事は合わない…」と退職していき、新入社員1人という状況に。1人残った新入社員の私は社内でもチヤホヤされていました。
さらに私は可愛がられやすい性格だったためか、先輩や上司から営業成績をお膳立てしてもらって目標もすんなりクリア。そうして1年目は「自分はできる社員だ」と思い込み、気楽な日々を過ごしていたのです。
しかし、そんな日々も2年目で終わりを告げました。一人で本格的に営業活動を始め、やっと私は、1人の力では何もできないことに気づいたのです。しかし、その頃には周りからの評価も厳しいものになっていました。
社長に呼び出されては叱られ、上司や先輩からも厳しく扱われ、毎日叱られてばかりに。このような日々を繰り返していくうちに、「もう叱られたくない」「自分はダメな人間なんだ」と悪い方へ。そして、それがさらに悪循環を生み、仕事を後回しにしたり、これ以上怒られたくないと思いホウレンソウを怠るように…。
今思えばもっと違うアプローチがあったと思いますが、当時の自分にはそんな余裕がありませんでした。
◇精神的にも限界だった日々
自信のない態度が仕事に現れ、営業成績も悪い。ミスがミスを呼び、その度にまた怒られ、本当に自分が嫌になりました。
そんなある日のこと。朝、目が覚めると布団から起き上がれず、その日は仕事を休むことに。その後もベッドから出れない。そのような日が3日ほど続きました。そんな私の姿を見た家族は心配し、気づかってくれるように。でも、それがとてもやるせなく、心配をかけるのが耐えられなくなり何とか職場に行きました。
…何とか職場に行ったからといって状況が変わるほど甘くはありません。自分は変わっていないのだから何一つ好転する兆しがないまま過ぎていく日々。
◇石の上にも三年とは言うものの
そんな日々が続き、3年目の10月のこと。仕事は相変わらず上手くいかず、精神的にも限界だった私。それでも「石の上にも三年」というように何とか頑張っていれば報われる日が来ると信じて、休むことなく毎日仕事をしていました。
しかし、いつものように仕事終わり、真っ暗になったオフィスで先輩2人と私の3人で上司からお説教を受けていたとき、プツンとついに心の糸が切れてしまい…
上司「これからお前はどうするつもりだ!」
私「…もう辞めます。すみません。」
何とか声を捻り出し、退職することにしました。当時は可愛がってくれた上司や先輩、社長に何も返すことができず、本当に自分が情けなく、能力がないやつだと思い込んでいましたし、実際にそうだったと思います。
◇現実はさらに冷たい
退職を決意したとき、実はもう長年付き合っていた相手と結婚を決めており、婚姻届を出した後でした。今思えばものすごく無鉄砲です。相手の両親もさぞ心配したでしょう。それはわかっていました。私も自分の娘がもし無職の結婚相手を連れてきたら、心配というより相手への怒りに近い感情を抱いたと思います…
そして現実はさらに冷たいものです。退職したすぐ後のお正月でした。奥さんの親戚の家に初めて呼ばれたときのこと。よくあるお正月の光景です。何事もなくワイワイと食事が進んでいました。…が、私がその場を少し離れた時、何やら親戚の話声が聞こえてきました。
「〇〇くん(私)って今無職らしいよ」
「え?やば。大丈夫なの?笑」
…今思えば、当然といば当然の反応。悪いのは自分。私だって親戚の立場だったらそう言うと思います。ですが、そのどストレートな言葉は、当時の私の心に痛いほど突き刺さりました。
…恥ずかしい。こんな自分と結婚させてしまった奥さんに申し訳ない。自分はなんて情けないんだろう。
そして何より、ものすごく強かったのが『悔しい!!』という思いでした。初めて悔しさで泣きました。
そう感じたことを10年以上経った今でも鮮明に覚えていて、この時のこの悔しさは今でも自分を突き動かしている原動力にすらなっています。それほど本当に悔しい体験でした。
◇意識が変わる、行動する
その日の夜中、家に帰ってからすぐに、それまであまり手につかなかった簿記の勉強を始めました。簿記2級だったと思いますが、すぐに合格。それまで何となく興味のあった会計事務所に絞って就職活動を行い、その後、運も良かったと思いますがすぐに採用が決まりました。
また、簿記2級は、何の知識もない当時の自分からしたら難しかったのですが、会計事務所に勤めてからは日常業務レベル。合格して当たり前のもの。それでも当時忘れかけていた「何かに挑戦して達成する楽しさ」を味わえた、私にとって大切な経験でした。小さなことですが行動をすれば結果が出るんだと、少しずつ自信を取り戻させてくれました。
◇運も味方して
その後、今の職場に勤め始めてからは、前職での失敗は繰り返さないことを特に意識し、さらに中途採用でもあるので、すぐに戦力になることを肝に銘じ、自ら必死にチャンスを掴みにいきました。前任者の退職と重なったこともあり、人手不足で入社当時からさまざまなことに挑戦できる環境があったこと、代表がそれを認め、自由に挑戦させてくれたことなど、とても良い環境で、私の中の成長思考が目覚めました。
根底にあるのは、前職では力不足でできなかった、社会の役に立ちたい、人の役に立ちたい。そんな想いと、それを自由にやらせてくれるこの職場、代表に貢献したい。さらにはここでもっと自分を成長させたい、まだまだ自分の力はこんなもんじゃない。そんな想いでした。毎日が楽しく、初めて仕事が楽しいと思えるようになりました。
あの真っ暗なオフィスでお説教をされながら辞めますと言った惨めな自分とは、本当に大きな変化があった1年でした。当時の私がしたのは「辞める」、つまり環境を変えにいくこと。何でも良いので何かを変えるための行動でした。でもあれがなければ今こうしてブログを立ち上げることもなかったと思います。
◇何かを変えてみる
ここまで長文をお読みいただきありがとうございます。
私もそうでしたが、時には自分の力ではもうどうしようもできないような状況になることがあると思います。また、もしかしたら今この記事をお読みの方の中に、私と同じように苦しい境遇の人がいらっしゃるかもしれません。もし、そうだとしたらこういう経験をした私としては「時には何かを変えてみる」ことをおすすめします。
自分の未来を変えることができるのは、「自分」しかいないということが、苦しい経験から得た教訓です。それが、もしかしたら今のあなたにとってはネガティブな一手かもしれません。でも今の状況にそのまま留まっているよりはいいと思いませんか?私個人的には本気でそう思っています。
退職を決意したあの時は、本当に心が限界を迎え、自然と辞めますという言葉が出てきてしまったのですが、私はあのとき行動してくれた自分に今ではとても感謝しています。
私はこのブログを、みなさんに勇気をあたえ、背中をそっと押せる場所にしたいと考えています。
また、その過程でいくつか自分にとって本当に役に立ったことや本、考え方、資格などの情報も発信していきます。そんなビジネスパーソンの学びの場になることを願って「進化する大人のビジネススクール」というブログ名をつけました。発信する私自身の学びの場として、さらにはこのブログを通して何かを感じていただいた人がさらに他の人に影響を与えていくような、そんな場をこのブログで作っていきたいと思います。
まだまだ、ブログとしての読みやすさは足りていませんが、今の率直な思いを走り書きにて。
それでは、またお会いましょう。
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